

Episode 1
映画業界に、僕らは反旗を翻した。

Episode 1
映画業界に、僕らは反旗を翻した。
ファンファーレ・ジャパンは、2014年の設立以来、長編映画4本を含む7本の映画を制作してきました。映画制作を本業としない小さな制作会社としては異例の多作です。
私たちは、なぜ映画を作り続けるのか。このブログ三部作では、その映画事業をライフワークとする理由をお伝えします。

ファンファーレ・ジャパン代表
シマタケ

長編映画「ココロ、オドル」の撮影風景
すべては、映画作りへの違和感から始まった
この物語の始まりは、2014年。
国の「一括交付金」を活用し、地域映画で沖縄市をPRしようという検討会が開かれました。
そこに呼ばれたのが、映画好きだった私とシゲさん、そして現在シアタードーナツ館長を務める宮島真一さんです。
会場には東京から来た映画プロデューサーもいました。
しかし、その場で私たちが感じたのは、映画への情熱ではありませんでした。
「沖縄市のことを知らなくても、数千万円の予算だけを取りに来ている。」
そんな空気が、どうしても拭えなかったのです。
帰り道、私たち三人は顔を見合わせました。
「だったら、自分たちで映画を作ろう。」
一括交付金が欲しかったわけではありません。
「お金がなければ映画は作れない。」
その常識そのものに、私たちは挑戦してみたくなったのです。

なぜ、はじめにシアターを作ったのか
私たちが最初に取り組んだのは、映画制作ではありませんでした。
映画館づくりです。
それが、シアタードーナツでした。
なぜ映画館だったのか。
当時は、まだNetflixのような配信サービスもありません。
映画は映画館で上映されなければ、多くの人に届かない時代でした。
どれだけ素晴らしい作品を作っても、上映する場所がなければ存在しないのと同じ。
その構造に、私たちは疑問を感じました。
だったら――
「上映する場所まで、自分たちで作ってしまえばいい。」
映画を作ることよりも先に、映画が届く場所を作る。
それこそが、私たちの映画事業の原点であり、今も変わらないライフワークなのです。

シアター運営の末に…
2015年4月。シアタードーナツはオープンしました。
最初は県産映画を上映する、小さな映画館。
しかし、お客様は思うように集まりません。
上映作品を変え、アートや音楽、旅をテーマにした作品を上映してみても、状況は大きくは変わりませんでした。
今なら理由はよく分かります。
毎月すべての作品を入れ替える。
つまり、毎月ゼロから宣伝をやり直していたのです。
映画館としては、とても非効率な運営でした。
私は運営に疲れ果て、会社としても大きな負担になっていました。
そして、オープンからわずか一年。
私たちは、シアタードーナツを手放す決断をします。
当時は「失敗した」と思っていました。
でも今振り返ると、あの一年がなければ、その先の物語は生まれなかったのです。

そして、物語は次の主人公へ受け継がれた
シアタードーナツを手放す決断をしたあと。
私は宮島真一さんにお願いをしました。
「借入はファンファーレ・ジャパンが返し続けます。だから、このシアターを引き継いでくれませんか。」
息も絶え絶えだったシアタードーナツを、宮島さんは引き受けてくれました。
そして、その後の活躍は、多くの方がご存じの通りです。
コミュニティを育てる上映。
作品をきっかけに、人と人が対話する映画館。
人気作品はロングラン上映し、イベント上映も積極的に行う。
宮島さんは、私たちが思い描いていた「映画の新しいマーケット」を、自らの手で形にしていきました。
シアタードーナツは、シネコンでも単館映画館でもない。
私たちは、その新しい形を「コミュニティシアター」と呼んでいます。
そして、この物語はまだ終わりません。
次回は、シゲさんが挑んだ映画制作の物語。
私たちが本当に映画を作るまでの、もうひとつの挑戦をお届けします。
(エピソード2に続く)



