Episode 3
シゲさんが語った「コザの裏側」13年の答え

Episode 3
シゲさんが語った「コザの裏側」13年の答え

わずか10本の予定でスタートした沖縄市の情報番組「コザの裏側」。気づけば13年で660本以上を数える番組へと成長しました。

なぜここまで続いてきたのか。
その裏にあった挑戦や葛藤、そして街との関わりを、制作の裏側からお伝えしていきます。

ファンファーレ・ジャパン代表
シマタケ

NTT西日本・島田さん(右)とアドスタッフ博報堂・嘉数さん(左)

コザ裏が次のステージへ進んだ日

「コザの裏側」最初の10本は、当初掲げていた目標以上の反響を生み、その結果を受けて続投が決定します。

さらに、NTT西日本のプロジェクトマネージャー・島田勝也さんから、ある大きな提案がありました。

「YouTubeだけではなく、テレビ放送もやりましょう」

今では当たり前にテレビ放送がされていますが、ここにも多くの方々の努力がありました。

コザの裏側は、全国的でも珍しい単独自治体の情報テレビ番組。しかし、沖縄市が負担しているのは番組制作費のみで、テレビ放送に必要な放送料については、民間で確保する必要がありました。

その役割を担ったのがアドスタッフ博報堂の嘉数勝浩さん。スポンサー営業を行い放送を実現してくれたのです。

コザの裏側は、行政だけでも、制作会社だけでも成立しなかった番組でした。多くの人の「この番組を届けたい」という想いで放送が続いていたのです。

番組を変えた、島田さんのアドバイス

ただ、テレビ放送を始めるにあたり、私たちはある不安も感じていました。

「このままのスタイルで、本当に視聴者に届くだろうか?」

当時のコザ裏はドキュメンタリー色の強い構成でした。テレビ番組として考えた時、もっとテンポや華やかさも必要だと感じていたのです。

そんな時、再び道を示してくれたのが島田勝也さんでした。

島田さんは、新たなMCとして、FM沖縄「ゴールデンアワー」で人気を集めていた沖縄市出身のミキトニーさんを起用しようと提案。さらに、「1本の番組で3店舗を紹介するスタイルにしよう」とアイデアを出してくださいました。

これこそが、現在のコザの裏側の原型です。

宮島真一さんの安定感ある進行に、ミキトニーさんの軽快な空気感が加わったことで、番組は一気にバラエティ色を強めていきました。

台本を捨てたことで
生まれた、コザ裏らしさ

しかし、番組作りは順風満帆だったわけではありません。

プロデューサーのシゲさんは、当初、素人ながら番組の脚本を書き、宮島さんとミキトニーさんに渡していました。

ですが、長年ラジオで鍛えられてきた二人が、素人の作った台本をそのまま読むわけがありません。

ほとんど目を通してもらえなかったそうです^^、

そこでシゲさんが考えたのが、「だったら脚本をやめよう」という逆転の発想でした。

細かな台本は作らず、必要最低限のカンペだけで進行する。

すると、それが見事にハマります。

宮島さんとミキトニーさんの自然なアドリブ。
そこに飛び込んでくる、シゲさんのどこかズレたカンペ。
さらに、それを二人が笑いながらイジる。

そんな偶然の積み重ねから、“コザの裏側らしい空気感”が生まれていったのです。

今振り返ると、完成された番組を目指したのではなく、不器用な素人達が走りながら作っていったからこそ、唯一無二の番組になったのかもしれません。

ミスターコザの裏側・神山繁

コザの本当のプレイヤーを
伝え続ける番組へ

それから13年。

コザの裏側は、多くの方々に支えられながら、沖縄市の情報を発信し続けています。

シゲさんに、「この番組を続けてきて、一番培われたものは何ですか?」と聞くと、こんな答えが返ってきました。

「普段は表に出ないような、コザの本当のプレイヤーを紹介できたこと」

その言葉を聞いた時、私は改めて思いました。

コザの裏側というタイトルには、最初からその想いが込められていたのだと。

観光パンフレットには載らない人。
表舞台には立たないけど、街を支えている人。
好きなことを貫きながら、コザという街を面白くしている人。

そんな“裏側の主役達”を伝えてきたことこそ、コザの裏側が全国どこにもない番組になった理由なのかもしれません。

視聴者の皆さん。
出演いただいた皆さん。
支えてくださった全ての関係者の皆さん。

本当にありがとうございます。

そして──

コザの裏側は、まだまだ続きます^^

ロックンロール⚡️

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