Episode 2
怖いもの知らずの素人達がコザ裏を動かし始めた

Episode 2
怖いもの知らずの素人達がコザ裏を動かし始めた

わずか10本の予定でスタートした沖縄市の情報番組「コザの裏側」。気づけば13年で660本以上を数える番組へと成長しました。

なぜここまで続いてきたのか。
その裏にあった挑戦や葛藤、そして街との関わりを、制作の裏側からお伝えしていきます。

ファンファーレ・ジャパン代表
シマタケ

「YouTubeって何?」の時代だった。

2013年。沖縄市の街なかに「KOZA Wi-Fi」が整備され始めた頃、私たちはある小さな挑戦をスタートしました。

その名も、「コザの裏側」。

今では13年、660本以上も続く沖縄市の人気情報番組となりましたが、当時は10本限定、しかも配信先はテレビではなく、まだ一般に浸透していなかった「YouTube」でした。

しかし、その無謀とも言える挑戦が、後に私たちの取組みを大きく変えていくことになります。

島田さん(右)とランチミーティング|2019年

会議室で飛び出した、無茶な宣言。

当時は、まだ「YouTuber」という言葉すら存在しない時代。YouTubeで地域番組を配信するという発想自体が、かなり珍しいものでした。その企画を提案したのが、NTT西日本のプロジェクトマネージャー・島田勝也さん。

しかし、沖縄市役所側も前例のない企画に戸惑っていました。
「YouTubeの成果って、どう測ればいいんだろう…?」

そんな空気の中、会議で提示されたのが、
「全10本、1週目で閲覧数1,000件達成してください」

という目標でした。

その瞬間、私はなぜか勢いで、「2,000件いきます。」と啖呵を切ってしまったのです^^、

そして事務所に戻ると、プロデューサーのシゲさんに、「2,000件って言ってきたからよろしくお願いします^^」と、ほぼ丸投げ(笑)

しかし、シゲさんは本当にその数字を達成してしまいます。

この成功によって、「コザの裏側」の継続が決定。小さな実験番組だった企画は、ここから少しずつ“本物のプロジェクト”へと変わり始めました。

映像職人・平良さんと(中央)

映像素人だった私たちに、
本物のチームが現れた。

実は当時、私たちはテレビ番組制作の経験がほとんどありませんでした。

そんな私たちに、現在まで続く最高の制作チームを繋いでくれたのも、島田さんでした。紹介されたのは、パルチザン。平良泉一さん率いる、経験豊富なプロの映像集団です。

しかし当然ながら、こちらは完全に素人側。最初は、プロデューサーのシゲさんもやりにくそうでした。それでも、持ち前のコミュニケーション力で少しずつ距離を縮め、現場を重ねるたびに信頼関係を築いていきました。

気がつけば今では、「コザの裏側」だけでなく、他の映像制作も一緒に取り組む“仲間”のような関係になっています。

振り返ると、この出会いは番組にとって、とても大きな転機だったのかもしれません。

「コザの裏側」第一回|2013年

 最初の「コザの裏側」は
今とはまったく違う番組でした。

「コザの裏側」といえば、宮島真一 さんと、ミキトニー のW司会を思い浮かべる方が多いと思います。しかし、最初のシーズンは全く違いました。MCは宮島さん一人。番組内容も、沖縄市のイベントや施設の“裏側”を前編・後編で紹介する構成でした。

記念すべき第一回のテーマは、ピースフルラブ・ロックフェスティバル。その後も、東南植物楽園 や、沖縄全島エイサーまつり など、沖縄市を代表するスポットやイベントを紹介していきました。

…しかし。

正直に言うと、思ったより面白くなかったのです^^、

10本の放送を終えた頃、私たちは大きな決断を迫られていました。


「このままで、本当に続けられるのか?」

次のシーズンに向けて番組の再編を迫られていました。そして、この葛藤こそが、後に“今のコザの裏側”を生み出す、大きな転換点になっていくのでした。

(最後のエピソードへ続く)

(エピソード1はこちらから)
(コザの裏側はこちらから↓)

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