Episode 1
なぜ、コザのエイリアンが健康寿命を語るのか

Episode 1
なぜ、コザのエイリアンが健康寿命を語るのか

「ワクワクな人生をデザインしよう!」

そんな想いを合言葉に、沖縄の健康長寿をテーマとした情報発信を続けている「ヘルスハック大学沖縄」。2023年にスタートしたこのプロジェクトも、おかげさまで4期目を迎えました。

このブログでは、ヘルスハック大学沖縄がどのような想いで生まれ、どんな仲間たちと歩んできたのか、その舞台裏をご紹介していきます。

ファンファーレ・ジャパン代表
シマタケ

健康長寿なんて、
私たちには関係ないと思っていた。

まずはじめにお伝えしたいのは、ヘルスハック大学沖縄は、行政や自治体から依頼されて行っている事業ではありません。

私たちファンファーレ・ジャパンが、自主的に沖縄県の健康長寿を応援しようと始めた取り組みです。

そう聞くと、「なぜファンファーレ・ジャパンが?」と思われる方も多いでしょう。

なぜなら、私やシゲさんを知る人ほど、私たちが健康長寿とは少し縁遠い存在だと思うからです。

そんな私たちが、なぜ沖縄県の健康をテーマに活動するようになったのか。そのきっかけは、一人の女性からの相談でした。

琉球薬膳料理の第一人者・宮國由紀江さん

断ったはずの話が、心に残り続けていた

話は2018年頃までさかのぼります。

私とシゲさんの長年の友人であり、姉のような存在でもある琉球薬膳料理の第一人者、宮國由紀江さんから相談を受けました。

「ファンファーレ・ジャパンのやり方で、沖縄の健康長寿を発信できないだろうか?」

宮國さんは、薬膳を通して健康長寿の啓発活動を続ける中で、沖縄県医師会の玉城研太朗先生と出会い、その活動に深く感銘を受けていました。

そして、私たちがコザで行っていた情報発信やコミュニティづくりを見て、

「この人たちなら、これまでとは違う伝え方ができるかもしれない」

そう感じてくれていたのです。

しかし当時40代だった私は、その話を断りました。

健康長寿。

あまりにも大きく、あまりにも専門的なテーマ。

正直に言えば、自分たちには荷が重いと思ったのです。

「僕らでは役不足です」

そう答えるしかありませんでした。

沖縄県医師会・玉城研太朗先生と宮國さん

50代になって見えた、新しい景色

ところが、その後コロナ禍を経験し、私自身も50代になりました。

すると、それまで遠い存在だった「健康」というテーマが、急に自分ごととして迫ってきたのです。

体力の変化。

人生後半戦への意識。

これからどう生きるのかという問い。

気がつけば、以前は見えなかった景色が見えるようになっていました。

そこで今度は、私の方から宮國さんへ連絡しました。

「もし玉城先生がよければ、一緒に取り組ませてほしい」

そして紹介していただいたのが、沖縄県医師会理事であり、乳がん治療の第一人者としても知られる玉城研太朗先生でした。

忘れられないのが最初の面会です。

先生は手術を終えたばかりで、まだ手術着姿のまま私たちと会ってくださいました。その時の先生の表情を、今でも覚えています^^

どこか不思議そうで、少し警戒しているような目。

無理もありません。

沖縄市コザから、医療とはまったく関係のないエイリアンが現れたのですから。

医療×メディア×コミュニティという挑戦

しかし、エンタメやお笑いが大好きな玉城先生は、私が持参した企画書を面白がってくれました。

そして、その日のうちに「ぜひ一緒にやりましょう」と快諾してくださったのです。

私が提案したのは、単なる医療啓発ではありませんでした。

医療の専門家だけで情報を発信するのではなく、沖縄で実際に活動する事業者や実践者の声を巻き込みながら、みんなで健康を考える場をつくること。

その構想が、

「医療 × メディア × コミュニティ」

でした。

実はその頃、私たちはWEBマガジンを起点にしたコミュニティ運営を行っており、多くの経営者や専門家が集まっていました。

理学療法士、ヨガインストラクター、エステティシャンなど、それぞれの分野で活躍する人たちです。

その熱量に圧倒されながら「この力を、もっと社会のために活かせないだろうかと考えていた時期でもありました。

そうして生まれたのが、

医療 × メディア × コミュニティ = ヘルスハック大学沖縄

という構想です。

まずはYouTubeから。

その後、テレビ番組、オンライン講座へ。

そうやって船出したヘルスハック大学沖縄でしたが、実はここからが本当の苦労の始まりでした。

(エピソード2へ続く)

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